『晴傘 〜はれがさ〜』

箱崎藍之介

 「今日は雨が降るよ…」

 いつものように語尾が消え入るような口調でそう言って、スオウが傘を渡そうとする。しかしながら、見上げるとそこには抜けるような青空があり、まるで雨なんか降りそうにない。僕が少し困りながらまごまごしていると、スオウは優しく微笑んで、「ホラ…」と言って僕に傘を握らせる。仕方が無いので、僕はそれを持って隣町へと歩きだした。風が心地よい、夏の始まりを予感させるような晴天…。今日は月に一度の小麦の買い付けの日なのである。

 『焼きたてのパンの匂いで目覚めたい』という人がいるが、毎日そうやってベッドから起きている僕はどんなに幸せものなのだろう。スオウの焼くパンは、バケットだろうがクロワッサンだろうがどれもふんわりと甘く優しく…そしておいしい。僕とスオウは2人でパン屋をしている。町外れの結界を越えるか越えないかというような位置に小さな家を建て、その一角で細々と始めた店だったが、今では毎日のように通ってくれる人、噂を聞いて隣町からやってくる人なんかもいて、それなりに繁盛しているのであった。ただ、僕もスオウもお金とかそういうのには全然興味が無くって、ただ2人でおいしいと言ってくれる人のためにパンを焼くことが嬉しくてたまらなかった。主に、パンを焼くのはスオウの仕事で、僕が店に出てそれを売る。スオウの方は絶対に店にも、それどころか外へも出ようとしない。

 …スオウはハーフなのだ。

 〜♪〜

 確か10歳かもう少し上だったかの頃、僕が町外れを歩いていると、僕と同年代くらいの子どもが3人で、何かを木の棒でたたいたり、蹴ったりしていた。僕が近寄っていくと、3人のうちの1人が「おい!なんだお前は!!」といって怒鳴るように僕に言葉を投げつけた。その言葉と同時に他の2人も動きを止めて僕の方を見た。その時…僕は見た。理解した。彼らがたたいたり、蹴ったりしていたその何かが、耳と尻尾を持った…これもまた僕と同じくらいの子だということを…。僕は「何をしてるんだ!」とそれまでの人生で出したことのないような大声を出した。そして、やられているその子をかばおうと走り出そうとした。
 「お前…このハーフのチビを助けるのか…?」
 3人のうちの蹴りを食らわせていた1人がそう言い放った。その言葉を聞いて、僕ははっとした。

 ――うずくまっているのは…ハーフなのか…?

 僕は、いや、きっと僕だけに限ったことではないと思うのだが、母さんから「ハーフの子とは遊んではいけません」とキツく言いつけられていたのでかなり戸惑った。…けれども、目の前の光景を見て、その子を見捨てるわけにはいかなかった。
 僕は棒を持っている奴のみぞおちに蹴りを見舞ってやった。突然のことに防御の姿勢をとれなかったそいつは、棒を取り落してその場にうずくまってしまった。僕はその棒をさっと奪い取って、戦闘体制をとった。それと同時に、そのハーフの子に首を横に振って逃げるように指示を出した。その子はしばし呆気にとられたように僕の方を見ていたが、僕がもう一度首を振ると、慌てて首を縦に振って、右肩を押さえつつ、左脚を引きずりながら去っていった。その子がある程度離れて行ったのを視線の端の方で見届けてから、僕は相手の方を睨むようにして再び戦闘体制をとりなおした。相手は2人いっぺんにかかってこようとしている…が、普段から医者であり戦闘にも長けている父さんに鍛えられている僕には勝算があった。はっきり言って、そんじょそこらの同年代の子には負けるはずがない…。
 勝負は意外と…いや予想通りかもしれないが、あっさりかたづいてしまった。3人はそれぞれ思い思いに捨て台詞を吐いて走り去って行った。僕は、ハーフの子が逃げて行った方角へその子を探しに行ったが、見つけることが出来なかった。

 僕は服を泥だらけにしたことをどのように言い訳しようかと迷いながら、自宅である病院へと向かった。たぶん、いじめられているハーフの子を助けたと言ったら、母さんはものすごく怒るだろう…。家に帰ると、玄関…つまり病院の入口のところで、父さん母さんと女の人がもめていた。
 「だからうちではハーフの子は見ないんですよ。さっさと帰って下さい!」
 その声は明らかに母さんのものだった。そして、『ハーフ』という単語に少なからず胸が痛んだ。
 「お願いします…見てもらえないとこの子は死んでしまいます…」
 たぶん声の主は女の人だ。『この子』という言葉を聞いてよく見ると、その人は胸に幼い子を抱いている。
 「どうか、お引き取り下さい。こんなところを近所の人に見られては困ります…。」
 その威厳のある独特の低い声は間違いなく父さんのもの。しかし、今日ばかりはどこか弱々しく聞こえる…。
 僕は頭の中が混乱でぐちゃぐちゃになりそうだった。ハーフだからハーフだからって、何が違うのだろうか…。確かに、姿形に違いはあるかもしれない…。だけど…だけど…!!
 気づいたら、僕は「父さん!母さん!!」と大声で叫んで、泥だらけのまま3人のもとへと駆け出していた。3人は驚いて問答を止め、僕の方へと向きなおった。僕はもう、言葉を留めることはできなかった。
 「なんで助けてあげないんだよ?」
 僕の言葉に、父さんも母さんも女の人も気まずそうな顔をするだけで何も言わない。その態度に僕はさらに腹が立って、
 「どうして助けてあげないんだよ?父さんは町で一番腕のいい医者だって、母さんは町で一番優しい看護師だってみんな言ってるじゃないか!この子のこと…きっと助けてあげられるじゃないか!!それなのに…なんでだよ…」
 ほとんど泣きわめかんばかりの僕の言葉に、母さんは気まずそうに冷たさを保ったまま、
 「グレン…この人たちはね…ハーフなのよ?だから、助けてあげる必要なんかない…」
 「じゃあ、このまま黙って見捨てんのかよ?」
 母さんがすべてを言い終わる前に、僕はさらに切り返した。その僕の言葉に今度は父さんが、「母さんになんて口の利き方をするんだ」と言って僕を殴りつけようとした…だが、その腕を片手で必死に止めて、
 「おかしいじゃないか!ハーフだからって、生きてる人を見捨てるなんておかしいじゃないか!傷ついたり、病気の人に元気になってもらうのが父さんたちの仕事だろ?そんな父さんたちをカッコいいと思って今日まで生きてきた…なのに、こんなのおかしいじゃないか!!助けてあげてよ!!この子だって、一生懸命生きてるんじゃないか!!!!」
 それが、僕の父さんたちに対する初めての大きな反抗だったのかもしれない。父さんの僕を殴ろうとする手に、力が無くなっていくのが分かった。辺りは少しずつ暗くなってきている。その夕闇に溶けるように、僕らも無口になった…。

 「そうだな…」

 父さんが口を開いた。

 「俺たちが間違ってる…。ハーフだからって、生きてることに変わりはないよな…どうかしてた…母さん、すぐに処置の用意を…」
 「ハイ…!」
 そう言って、母さんは診察室の方へと入って行った。父さんは女の人に、「その子をこちらに」と言って、両手を伸ばした。黙って僕らの様子を見ていた女の人は呆然としていたが、父さんの言葉に反応して、子どもを手渡すと、僕に深々と頭を下げてから父さんと一緒に診察室へと入って行った。
 僕は、初めての大反抗に疲れ果てて、その場にへたり込んでしまった…。

 「ありがとう…」
 僕は後ろから聞こえた声にハッとして、立ち上がり振り向いた。そこには、さきほど自分が助けた男の子が立っていた。僕は驚いて何も言えずにいると…
 「さっきのは、オレの妹と母さんなんだ…本当にありが…とう…な…」
 そう言って、その子はその場にぐらりと倒れてしまった。突然のことに僕は慌てふためいて、「父さん!母さん!!」と再び大声で叫ぶハメになった…。
 結局、その子も、その子の妹もしばらくの間入院することになった。もともと小さい病院なので、あまり入院用のベッドも多くない…。なので、僕の部屋にその子を入院…というか、泊まらせることになった。一応…患者さんであるその子をベッドに寝かせ、ぼくはしばらくの間は床に寝ることになった。僕の部屋に泊まったその日に、彼がスオウという名前であることを知った。
 この一連の事件は、あっという間に町中の人に知れ渡ることとなった。最初のうちは、「ハーフを助けて、挙句の果てに入院までさせるなんてどういうことなんだ?」と苦言を呈するような意見が多く、病院を訪れる患者さんも減ってしまった。しかしながら、だんだんと「生きている人ならどんな人でも助ける。それが医者として当たり前の姿勢だ」という父さんの考え方を理解してくれる人が増え、元のように患者さんが増えることとなった。それどころか、噂を聞きつけたハーフの人々も患者としてやってくるようになり、前よりもたくさんの人が病院に来るようになったのであった。

 〜♪〜

 それが僕とスオウの出会い。スオウと僕の第一歩。あんまりいい出会い方じゃなかったと思うが、出会えてよかったと思うことに変わりはない。この後も、いくつもの幸せと不幸せがあったが、今ではいい思い出である。
 広い街道を歩いていると傍らで、子どもたちが僕を見てくすくす笑っているのが聞こえた。たぶん、こんな晴れた日に、大きな黒い雨傘を持っている僕が可笑しくて笑っているのだろう。でも、これはこれでいい。辛かった日々のことが忘れられずに、今も外には出ようとしないスオウの気持ちがなんとなくわかるような気がするから…。それに、僕は知っている。スオウの天気予報は百発百中だということを。これもハーフであるスオウの特殊な能力であるのかどうかは分からないけれども…。きっと帰る頃には大粒の雨が降っていることだろう。
 もうすぐ小麦を扱う店の青い屋根が見えてくる。出来るだけ安く仕入れたいが、質の悪い小麦ではスオウはもちろん、お客さんも満足してはくれない。僕は頭を悩ませながら、それでもなぜかスオウのことを考えると笑顔になりながら、街道を歩いて行くのだった。


 僕らの道は続いて行く。
 平坦であっても、曲がりくねっていようとも。

(つづく)

 【あとがき】
 せっかくの相互リンク記念だし、できるだけ螺旋さんの作品の世界に少しでも通じるものが書きたいと思って書いたら、なんだか書き足りない感じになってしまいました…。とりあえず、これがスオウとグレンの第一歩だということに…。この出会いの後、紆余曲折ありながら成長していき、最終的には2人でパン屋を開くというところにまで至るのですが…そのお話はいずれどこかで書くことができたらなと思います。ここまで、お読みいただいた皆様、そして、今回この作品を書く機会を与えてくださった螺旋さんに心より感謝致します。

2009.5.10 箱崎藍之介

 箱崎藍之介さんから相互リンクの記念に頂きました♪まさか自分の小説の世界観に沿った作品を頂けるとは…ホントに嬉しい限りです♪スオウとグレンの出会い…いい話ですねぇ><これから先いろんな苦労があるかもしれないですが、ずっと仲良くやって行くんでしょうね♪
 グレンを視点にしての文章の書き方…技術的にも色々と参考になります…><一回読むだけで情景が浮かぶのがやっぱり上手い書き方なんでしょうね…ホント参考になります…_〆(。。)メモメモ
 素敵な話をありがとうございました♪

因みに、この文章を書いてくれた箱崎藍之介さんのサイトへはこちらからどうぞ^^w

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